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DV被害による後遺症
2度目の結婚、離婚を読んでくれた人は、知ってくれてることだが、
私の前の旦那はDVだった。


離婚をし、その被害を受けなくなっても、その苦悩からすぐに逃れることはできない。


娘と2人で新たに始めた生活は、怯えることのない穏やかな生活のはず、けれども実際は、傷の癒えない2人の生活は大変だった。


当時小5だった娘は、学校で度々問題を起こした。
なにかと、先生にたてを突くのだ。
そして泣き崩れ、暴れ、誰も手が付けられない。


何度も学校に呼び出された。
娘の異様な泣き振りに、私もどうしていいかわからなかった。
体が痙攣するほど泣き喚き、唇も目も腫れ上がり、
心が病んでいることが、一目で分かるほどだった。


いくつかの精神科に連れて行ったが、
「なにが、そんなに嫌?」などと聞く先生の言葉に
「私が、悪いんだ。私が悪いんだ」と娘は泣き出し、診察にならなかった。


病院も当てにならないかと、思っていた時、人から紹介された病院に行ってみた。
私はそこで、私のある考え方が、娘を余計に苦しめていること知った。


前の旦那のDVは、悪いことである。
でも、それには理由があった。
前の旦那は、母親に普通の愛情をもらった覚えがないのだ。


「お前なんか、本当は産みたくなかった」そう実の母親に、幼い頃言われたことがある、と聞いたことがある。
小学生の頃からは、継母に育てられ、精神的虐待を受けていたと。


だから私は娘に言っていた。
「あの人は、人に愛されずに育ったから、人の愛し方がわからない可哀想な人なんだよ。」と
娘に人を恨み生きて欲しくなかったし、その方が娘も楽な気持ちで生きられると思ったのだ。


でも、それが間違いだった。
人間酷い目にあったら、怒りを吐き出さなければ生きていけないのだ。
そうでなければ、どんどん自分を追い詰めてしまう。
「自分が、もっと大きな人間になればいい」「許せばいい」
「忘れればいい」


そして、相手を許せない自分を憎むようになる。


私は、堂々と前の旦那の悪口を言うようにした。
人の悪口など言っても楽しいはずがない。
けれども、それは娘にとっても、私にとっても大事なことだった。


お医者さんに言われた。「良くなったサインは、お母さんにたて突くようになることです」「嫌われたくない、一番大事なあなたに、不満を言うようになれば、もう大丈夫ですよ」と


娘が私に「あんたのせいだよ!」と言ってくれるまで、4年かかった。
あの時一度だけ、娘は泣きながら言ってくれた。


辛い思いをさせた。
娘は、理不尽に殴られたのに、殴った相手も母親も許そうと頑張った。
本当に本当に、優しい子だ。


しかし娘は、そのせいで学校にトラウマが出来てしまた。
当たる相手、理解してくれる相手に、先生を選びうまくいかなかったせいだろう。
結局、心療内科の先生に進められて、無理せずに高校は途中で辞めた。


産後は少し情緒不安定になったものの、今は普通に生活できている。


娘が落ち着いた今、今度は私の番だ。
いつまでも、今の旦那様に心配と迷惑をかけながら生きるわけにはいかない。
娘に「あんたのせいだ!」と言われた分も、
DV男に「お前のせいだ!」と言ってやらねば!


この間始めて、前旦那に電話でたて突いてやった。
何度も「はじく」「はじく」「脅しじゃないぞ」と言うから、


「はじく、なんて言葉使うのはよしなさいよ!
子供のいる人間が使う言葉じゃないわ!恥ずかしくないの?」と
言ってやった!


でも反撃も、いったんここまで。
まだ向こうに一人、私の第3子がいるので。


最後に今の旦那様に
まだまだ心配とご迷惑をお掛けしますが、
いままで通り、長い目で支えて下さい。
「いままで、ありがとう
これからも、よろしくお願いします


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【2007/06/14 06:08 】 | 過去の結婚・離婚 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
経験豊富な私!?
2007年5月23日
結構文字を読むのって、面倒だったりするよね?

知らない人の人生を、長々と書かれても読む気がしない・・・。

そんなあなたに、今までのダイジェスト。

私の経歴です。

結婚3回、離婚2回、

DVの被害経験あり、連れ子が虐待されたこと有り。

仕事関係では、

温泉街で芸者見習い。

フィリピンパブでチーママ(私は日本人ですが・・・)

スナックのママ

細かい事を書けば、

ストーカー被害にあい、拉致されて殺されるかと思ったことも・・・。

流産1回、出産6回

我が子と暮らせず、泣き暮らしたこと(それは、今もあと1人DV元旦那のところに)

そうそう犬に噛まれて10針縫ったことも(あんまり関係ないか

救急車に乗ったことも4回あるぞ(どうでもいいか・・・

おばけ見たことも何度もある!(よくある話だな

そうだ、駆け込み寺にいたことある~(あそこは、生活の決まりが厳しかったです)

母親に「死になさい!」と真面目に言われたこともある。

まあ、こんな感じかな~。

自分では、荒み馬鹿やって、うつ病になるのもしかたないかな~と思うほど、
波乱万丈な人生だったと、思っています


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【2007/06/08 09:56 】 | 過去の結婚・離婚 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
離婚後
2007年5月22日
子供と初めての面会の時、嬉しかった。
すでに、母から引き取り手元にいる10歳の娘と共に、公園で待った。

当時4歳の娘は、私に会うと嬉しそうにピョンピョン跳ねた。
3歳の娘は、半年以上ぶりに会う私が、誰なのかわからない様だった。

今でもはっきりと覚えている。ワラビーを見ている時、4歳の娘がワラビーに目を向けたまま後ろにいる私に言った。
「わたしね~お母さんのこと大好きだよ」
私は涙を堪え、つまる喉を震わせ答えた。
「お母さんも、あーちゃんのこと大好きよ」

離れて暮らす2人の子供と一緒に暮らしたかった。
何よりも、頭のおかしい人間に育てさせることが心配だった。

私は、前と違う弁護士に相談しに行った。
そして、離婚の時相談していた弁護士が、適当なことを言っていたことがわかった。
親権は一度決まってしまうと、裁判を起こしても親権変更が認められることは難しいらしい。

私は児童相談所に行き、元旦那が虐待する恐れがあるので、子供を観察してもらえるよう頼んだ。
児童相談所から、たまに報告が来た。
「保育園から連絡があり、子供の背中からタバコを押し付けられた跡が見つかりました」
私は、保護してもらえないか頼んだが、児童相談所は元旦那に手紙を出してくれるくらいだった。

私はやっぱり親権者変更の裁判を起こしたかった。
負けてもいいから、やりたかった。
けれど家族は猛反対だった。
「そんなことをすれば、絶対仕返しに来る。私の息子が狙われるかもしれない、やめて」
と、姉は泣いた。
母は、「もうしばらく我慢しなさい。あんな人間に育てられるわけがない、きっとチャンスが来るから」と言った。

私の行動により誰かが被害に遭うかもしれないと思うと、裁判が起こせなかった。

絶望だった。私はすっかり曲がっていった。
人に優しくすることなんてバカバカしい。
愛は地球を救うなんて、笑っちゃう。
もう誰も信じない。
世の中の男なんて、99%は死んだ方がいい人間ばかりだと思った。

荒れきっていた。

死のうか、人を騙して生きようか、
私は悪いことしか考えられなくなっていった。


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【2007/06/08 09:40 】 | 過去の結婚・離婚 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
二度目の結婚、離婚(4) [離婚成立]
2007年5月22日
家を出たものの、離婚成立までは時間が掛かった。

旦那は、警察に捜索願を出し、私の知り合い全員に連絡し、私を探していた。

私は仙台から、顔も知らない遠い親戚の、草津に住むおばさんのところに身を寄せた。

私は仕事を探した。
芸者やコンパニオン、けれど仕事は見つからなかった。

草津では就職活動が出来ないため、私は次に群馬にある「駆け込み寺」に身を寄せた。

なんとか東京で、住み込みで働ける所を見つけた。
私は倉庫で寝泊りをさせてもらい、お水をした。

そして、家庭裁判所に調停離婚の申し立てをした。

私は子供と暮らせる様に、マンションに越した。

けれど、調停は時間がかかった。
家を出てから調停が終るまでに、7ヶ月かかった。

調停が長引いたのは、旦那が調停に出てこなかったのと、子供の親権を譲ってくれなかったからだ。

子供に会えない日々が続き、私は落ち込んでいった。

離婚が成立するまでは、私にも子供に会える権利があるはずだったが、もちろん会わせてもらえなかった。
保育園に会いに行ったが、先生に嫌な顔をされ、「来ないで欲しい」と言われた。

早く子供に会いたかった。

離婚が成立すれば、とりあえず月1回会える権利がもらえる。
調停を不成立で終らせ、裁判に入ったとしても、親権をとれかどうかは微妙だった。
私が捨てて出て行ったことにされる可能性もあり、旦那が暴力を振るっていた証拠もなかった。

弁護士にも相談したが、とりあえず早く離婚することを勧められた。

そして、私が親権を諦め、離婚が成立した。


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【2007/06/07 03:12 】 | 過去の結婚・離婚 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
二度目の結婚、離婚 (3) [父の涙]
2007年5月21日
旦那が昼働くかもしれないので、私は夜働くことになり、お水を始めた。

私の給料を、あてにする旦那は、私が仕事に行けない程の、怪我をする暴力を振るわなくなっていった。

私の働いたお金で、旦那はスナックに行ったり、コールガールを呼んだり、好き放題だったが、殴られる程度がましになった私は、徐々に自分を取り戻して行った。

私が働き始め1年くらい経った時、すっかり働かなくなっていた旦那に私は
「もう働きに行かないの?」と聞いた。
旦那は「お前が働いているから働けない」と言い、私は仕事を辞めることになった。

そんな時私は、友達と遊びに行ってて家に帰るのが嫌になった。

旦那との約束を破り、帰りが夜になった。
電話をすると旦那は「帰って来たらぶっ殺す、帰って来るな!」と怒鳴った。

でも、子供が心配なので私は帰った。
しかし、チャイムを鳴らしても開けて貰えなかった。

私は朝まで、家の近くで座り込み考えた。

(私は仕事を辞めた、帰れば死ぬほど殴られる)
(今ここで逃げれば、母に預けている娘と、また一緒に暮らすことができるチャンスかもしれない)
(きっと、子供達と怯えることのない生活が送れるはず)

私は新幹線に乗り、上野から仙台へと逃げた。

怖かった・・・。
新幹線の中、私は決意が揺らがぬ様、手のひらに子供の名前を書いた。

そして新幹線の中から、親に電話をした。
実家では旦那から連絡があり、私がいなくなった事を既に知っていた。
「あんたどこにいるの?」
私は母に事を説明した。
そして、泊まるところが決まったら、また連絡すると約束した。
旦那には、私から連絡しないことになった。
母は、旦那には私からは何の連絡もなく心配している芝居をする、と言った。

仙台で何軒も回り、やっとビジネスホテルに泊まることが出来、落ち着いた私は母に電話した。

親の言うことを聞かず、再婚したことを怒られると思ったが
母は「良くやった、決して帰っちゃダメだよ」と言った。

とにかく、その日はそこに泊まり明日からどうするか、また考えることになった。

ホテルに姉から電話がかかってきた。

その時の話を、私は今でも忘れられない。

怒るに決まっている!そう思った姉の第一声は意外だった。

「お父さんが泣いてたよ」

親の言うことも聞かず、馬鹿な娘を嘆いている意味だと思った。

けれど違った。

人前で涙など、見せたことの無い父が人目をはばからず

「娘の命が助かった。娘の命が助かった。」

そう言いながら声を上げて泣いていたと言う。

ありがたかった。あきれられていたと思っていた。

けれど父はずっと、心配してくれていた。

「いつか殺されちゃうよ、何とかしなきゃ」
父は、いつもそう言っていたらしい。
そういう父を母と姉は、
「自分の選んだ道だから仕方ない、本人が気付かなきゃ救えないよ」
そうなだめていたという。

私はこの何年間かを、悪い母親であるとしか思っていなかった。

けれど私は、悪い母親であると同時に、父の子供だった。

涙が止まらなかった。
とめどなく流れた。


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【2007/06/07 03:10 】 | 過去の結婚・離婚 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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